ブログって、記憶の感動ダ!(その2)
その研究者のブログのサイドバーには、奥飛騨の研究施設に植えられているという、沙羅の木の写真が、ありました。
「落ちこぼれ研究者の年金生活by FewMoreMonths」と添えられて。
どういった道筋をたどってその研究者のブログにたどり着いたのか覚えていませんが、スーパーカミオカンデの第一線で研究を指揮し、ノーベル賞にも手が届こうとしていた研究者の、2年間くらいの闘病中のブログです。
市井の私でも、研究者という人のすごさを知ると同時に涙が止まらなかったブログでした。
3か月を一区切りに死を見つめカウントダウンかのようにタイトルを替えながら、自分の大腸ガンのデータを考察し、これまでの人生や日常に思いをはせる、その一つひとつの記述を読んで涙が流れました。
神も仏も、なぜこういった貴重な人物に酷なことをするのか。
人の人生になぜこんな仕打ちをするのか。
私に、死を見つめさせたブログでした。
私の記憶の中には……、
すべての人にやがて死はやって来る、死はたかだか10年20年の差でやってくる
……と、自分を納得させざるを得ない哀しみ
「千の風にのって」の詩のようには死後には、家族、友人に激励の言葉を送れないだろう
……と、死の事実を認めざるを得ない哀しみ
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた
……..と、正岡子規を引用し、今を生きようとする哀しみ
が今も鮮烈に残ってます。
亡くなられて、ブログ読者に対する息子さんの礼文を読んで、そして幾年かの日を経た後に息子さんが、ブログを閉じるとの告知をされた時には、無関係の私ですが寂しかった。ネット上にずっと置いておくわけにはいかないものかと。
後に文芸春秋だったかに掲載された奥さんの手記を、図書館で読んで、これにも大の大人が声を漏らして涙を流してしまった。
......今般あらためて、あのブログはもうないだろうと思いながらも、探したらアーカイブというのでしょうか、当時と同じ形式かどうかわかりませんが、再会できました。
今後の私の人生で長く読み返したいブログです。