大袈裟に、死について考えた(2023/12/10)
市の健診で、前立腺がんの要精密検査の通知をもらった。
昔から何事につけ、科学的数値は噓をつかないと思っている。
大袈裟に、死について考えた。
父親が前立腺がんで亡くなっているので、やがて俺もとおもっていたから
今のところは狼狽えるようなところはない。
しかし、死を意識した。
死とは無だから、これから死までは新たな夢をもっても詮無いとおもった。
死までの過ごし方をどうすべきか考えた。
以前から、ガンということになったらその時は積極的な治療はしない、と
妻に言っていた。
もしガンであったら、そのとおり治療はしなかろうとおもう。
普段、
そういうことになったら身の回りの周辺事を整理して
妻にもわかるように残すタイプに見られているが
特に整理はしなかろうとおもう。
そのままで妻にも子供にも、面倒をかけるような死に方でよいとおもった。
残された者に迷惑をかけることになるが。
最後、痛みが出てきたら
経済的に許されるならホスピスみたいなところに移ろうとおもう。
しかも遠距離にあるホスピスみたいなところに。
近くで家族に見舞いに来られるようでは生への執着が、
最後の最後まで残ってしまうだろうから。
家族にも見舞いなどという面倒はかけたくないから。
痛みなど以外では、できるならさばさばと死んでいきたい。
死んでから、当地で妻だけで荼毘にふしてもらい
葬式などもせずに、誰にも知らせずに死んでいきたい。
そんなことを、今の時点では希望している。
死に、希望というのもおかしな話しだが。